そいつの瞳は俺の姿を映さず、しかし確かに俺を捉えている。
俺の視線とそいつの視線が交差することはない。
次元の違う存在である証。

「シマちゃん、面白いの連れてるね」

それなのに「面白いの」は間違いなく俺のことであり、色素の薄い瞳は俺の方を見据えて動かなかった。
俺の後ろにある物といえば、玄関と部屋を隔てる、木製の扉だけである。
リッちゃんと目が合った時とは違う、得体の知れない不気味な高揚感。
ああ、こいつは俺が見えるんだ。
やたら冷えた頭の芯に、それがゆっくりと浸透していった。
呆然と佇むリッちゃんと俺を交互に見比べて、そいつはおかしそうに少し笑う。
人懐っこい笑顔。
元々細い目が無くなってしまい、そいつの感情は一切読み取れなくなる。
それなのに、そいつから感じるこのむずがゆさは、何なのか。
そいつは俺に顔を向けたまま、リッちゃんに向けて口を開いた。

「ああ、やっぱり気付いて『みたつのけかた』」

突然、そいつの言葉が「割れた」。

「いつから『いやっるぱりのこの?こにああ、』」

それは、全く同じ二つの声が奏でる不協和音。

「『こおれわがのらせこえるのもがなきんこだなえとおるもっかて』」

声は少しずつ、同じ音量で均等に混ざり合っていき、言語として理解することが不可能になってくる。
リッちゃんはそれに気付いていない。
彼女に聞こえているのは「割れた」言葉の内の片方だけのようで、そちらに受け答えをしている。

「そう、それなら『慣れたか?』いいんだけど」

やがて俺にはリッちゃんが聞いている言葉が徐々に徐々に聞こえなくなり、彼女が聞いていない言葉だけが、はっきりと聞こえるようになった。

「『ずっと呼んでいたんだな。お前も彼女も、執念深い』」

意味のわからぬ言葉の羅列。

「『それでどうするんだ、今更。お前達は失うばかりで、この先だってきっと何も取り戻せない』」

言われたそのままを反芻している内に、次々と弾丸のように「声」が襲ってくる。

「『・・・覚えてないのか?かもしれないな。以前のお前なら、もっと』」

そこで「声」は一拍置き、

「『聞こえているか?』」

それは理解できたので、俺は微かに、顎の先を震わせるように頷いた。

「『そっか。じゃあ、覚えてないんだな』」

そいつはリッちゃんの頭をくしゃっと撫でて、それから俺達に背を向けた。

「『たぶん、お前の声は俺に届かない。お前とはもっと色々話しておけば良かったと思っている。残念だ』あ、またいずれゆっくりと」

「声」が再び二つに割れる。
一方的に語りかけていた「声」はそれ以降何も紡がず、リッちゃんと会話をしていた方の「声」が、俺の耳にも届き始める。

「ばいばい、シマちゃん」

重い音を立てて玄関の扉が閉まった。
俺は同時に木製の扉をすり抜け、部屋の隅にある小さなクローゼットの中に飛び込んだ。
ビリビリと気色の悪い感触が皮膚を這いずっている。
皮膚って何だ。
幽霊に皮膚も何もあるものか。
それでも全身を包み、駆け巡る、何か。

嫌悪 敵意 憎悪

そのいずれもが正しいようで、いずれもが微妙に違うようにも思う。
とにかくこれは良い感情ではない、それだけは確かだ。
ああ嫌だ。
覚えていない感情に身体を丸めて、俺は今、どんな顔をしているのだろう。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
頭がジンジンする。
脳を直接揺さぶるようなあの声。
脳って何だ。
俺の脳はどこにあるんだ。
俺は何なんだ。
本当に只の幽体、それだけなのか。
あいつは何か、俺のことを知っているのか。
わからないわからないわからない。
ドロドロとした澱がどこか、それは「心」と呼ばれる場所だろうか、「俺」の中心に降り積もっていくのを感じる。
様々な感情が、疑問が、悲鳴が、混ざって混ざり合って煮詰まって真っ黒にどす黒くなって








そして、白く眩い光を見た。






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20061201 煙草
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